武谷三男から学ぶ原発事故後の「福島」#2
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●日程: 2023年9月15日(金)
●時間: 18:00-20:00
●会場参加:桑野協立病院多目的ホール(郡山市島2丁目9-18)
●オンライン参加:参加者の皆さんへZOOMリンクをお送りいたします。
勉強会の概要
武谷三男から学ぶ原発事故後の「福島」
福島第一原発事故から12年後の今、私たちは何かを見落としているでしょうか?改めて考えたいと思います。この勉強会では、岩波新書から1967年に発行された武谷三男編集の「安全性の考え方」を教科書に活用し、この時代に考えられた安全性の哲学に焦点を当てます。
福島第一原発事故後から得た教訓を通じて、今後の安全性について深く理解し、新たなアプローチを模索するために、一緒に学びたいと思います。 勉強会の目的は、参加者同士で考えを共有し、福島第一原発事故と安全性についての洞察を深めることです。特に、福島第一原発事故が起きたことによる被害と「安全性の考え方」の中の8章10章11章12章13章に焦点を当て、議論を進めます。参加者の皆さんには、事前に「安全性の考え方」の8章10章11章12章13章を読んでおいて頂き、自身の視点や疑問を持って参加していただきたいと思います。
*5章すべて読むのは大変な方は、13章だけでも読んでから参加してください。
申し込み方法
参加を希望される方は、会場参加かオンライン参加を記載の上、下記までメールでお申し込みください。
happy.island311@gmail.com
問い合わせ:090-5237-4312 (すずき)
参加費:無料
サポート:八巻俊憲
所属学会等: 科学技術社会論学会,日本科学史学会,化学史学会、日本産業技術史学会、日本物理教育学会東北支部、原子力市民委員会(CCNE)福島原発事故部会,武谷三男史料研究会
詳細⇒プロフィール
参考:
●岩波新書 [ 安全性の考え方] 武谷 三男 編
https://www.iwanami.co.jp/book/b267106.html
●武谷 三男(たけたに みつお、1911年(明治44年)10月2日 – 2000年(平成12年)4月22日)は、日本の理論物理学者。理学博士。三段階論、技術論で知られる。
https://ja.wikipedia.org/…/%E6%AD%A6%E8%B0%B7%E4%B8%89…
8月18日開催「武谷三男から学ぶ原発事故後の福島#01」
8月18日開催「武谷三男から学ぶ原発事故後の福島#01」 レポート:坂本唯
〇「中立を装う人々からの反論の裏にはなにがあるのか?」
YUMI:38ページ「加害側から猛烈な反撃が起こる」その結果どれがほんとうのことかわからなくなる。
原発事故の市民の側からデマを検証するための団体があった。被ばく防護の取り組みをしている活動がバッシングの対象になった。どれがほんとうのことかわからなくなるというポイントが一緒
MARI:中立を装うことでなにをえた?なにが目的なのか?なにを守るために原発事故被害は大したことないと言っているのか?中立を装ったようにつぶしにくることもあるが…
YUMI:その人たちの共通点として、被害を言うことが「それが福島の差別につながる」という論。かんにんぐたけやまの本が例にあるように、「事故の影響は大したことはないって言いたい第三者的。でも第三者はありえない」
やまき先生:科学知識をつかって問題の本質をわからなくさせることがおこなわれている。
Agnotology(アグノトロジー:無知学)
タバコの例⇒タバコに害はあるのは科学でわかるのに、企業をつかって反対の説をつくる
〇心の問題として扱われてきた福島の問題
YUMI:水俣は目に見えやすい被害だったことに対して、福島は目に見えない、わかりづらさを抱えている。放射性被ばくを大丈夫と思う人と、不安と思う人の捉え方のちがいとして分断されていく。放射能問題は心の問題として、一人ひとりのとらえ方の問題にされてきたことは、人権意識の欠落につながるとおもう。
八巻:放射能は五感で知覚できるものでない。放射線量の高い地域に一時帰宅をした人が「帰ったら具合わるくなる」いうのを聞いたことがあって理解できなかった。しかし後にそれは、放射線のリスクに曝されたことに起因するトラウマの一つの症状としてあらわれていることがわかった。たとえ被ばく量がすくなくてもストレスは避けられないから、間接的だけど放射能の影響だと言えるとおもう。それを認めないと人権の問題にかかわるとおもう。
種市:水俣の問題は水銀を体内にとりこむ蓄積性の問題だった。福島においても、食べ物の内部被曝による蓄積の問題はある。その一方で、初期被曝によるリスクを忘れてはならない。いま現在は放射線量がおちついているから大丈夫という話ではない。初期被曝をしたことは、「あたりかもしれない宝くじを買わされていること」。
MARI:初期被曝をしたリスクを変えることはできない。でも健康に生きようと思う。そうであれば、そのリスクを受けたことを考えなければならない。
○武谷三男の科学者として立場
46ページ「これまでの研究では、社会の秩序を守るためと称して、しばしば研究の結果が全く秘密にされた」このような状況が福島でも続いてきた。武谷三男からなにを学べると思うか?
YUMI: 子どもたちの環境を守る活動をおこなう際に、科学的に大丈夫なのに、お母さんたちが言っているからという理由で、行政に取り合ってもらえなかった。
「科学的に見て問題がないとか、科学的な知見においてとか、その言葉が被曝防護をしようとしたときに妨げる。でもたしたことないって何を根拠にいってるのか。専門家という人が、人権を訴えるときに科学的という言葉が対局にあるようにおもう。ことごとく人権を守ることに邪魔をする言葉が科学だった」。
科学的っていう言葉で遮ろうとすることに、武谷三男の本は「救世主」だと思った。
「そもそも科学ってこういうことじゃないですかって言えるようになった」。
MARI:つぶしに来た時にどう市民がこたえられるのかを学びながら探そうと思う。
現実をきちんと説明されないから、逆に不安をあおられていく。じゃあどういう風に言ったらいいのか。
種市:科学であれば現実で何が起きているのかを説明しなければならない。たとえば鼻血が出たことについて、説明ができないから自分たちにとって都合の良い理屈がおしつけられてきた。
武谷三男は科学は市民のためでなければ、科学ではないと言っている。
八巻:いま科学的という言葉の使われ方は、客観的に見て信用できるからという意味で科学的といっている。そこには、科学は価値が入り込まないという前提。しかし、科学的だから「大丈夫ですよ」とまで言うのは、価値判断。
科学的というのは「ずるい言い訳」であり、「人間にかかわる科学はすべて価値判断が入っています」。
武谷三男は理想主義の科学者だった。⇒理想にむかって、現実のゆがみを修正していく。
「世界全体の捉え方を考えてきた科学も技術も人間もひとつで、歴史的にどう発展してきたのかを捉えようと。」
それと反対に戦後の多くの科学者は、科学主義者。⇒科学でなんでも説明ができるという立場。そこでは「倫理の部分」が抜け落ちてしまう。
44ページにあるように、住民の立場で考えると、みんな被害者の立場になりえる。武谷三男は住民の立場で科学を考えてきた。加害側か被害者側か、公害や原発事故になったときも自分はどちらかをかんがえたときに中立はありえない。
45ページが武谷三男の思想
「技術は人間の生活を豊かにするためにある。安全性を考えに入れない技術は、すぐれた技術とは言えない」