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勉強会の案内

日程: 2023年10月20日(金)
時間: 18:00-20:00
会場参加:桑野協立病院多目的ホール(郡山市島2丁目9-18)
オンライン参加:参加者の皆さんへZOOMリンクをお送りいたします。


勉強会の概要

武谷三男から学ぶ原発事故後の「福島」

福島第一原発事故から12年後の今、私たちは何かを見落としているでしょうか?改めて考えたいと思います。この勉強会では、岩波新書から1967年に発行された武谷三男編集の「安全性の考え方」を教科書に活用し、この時代に考えられた安全性の哲学に焦点を当てます。

福島第一原発事故後から得た教訓を通じて、今後の安全性について深く理解し、新たなアプローチを模索するために、一緒に学びたいと思います。 勉強会の目的は、参加者同士で考えを共有し、福島第一原発事故と安全性についての洞察を深めることです。特に、福島第一原発事故が起きたことによる被害と「安全性の考え方」の中の8章原子力の教訓に焦点を当て、議論を進めます。参加者の皆さんには、事前に「安全性の考え方」の8章を読んでおいて頂き、自身の視点や疑問を持って参加していただきたいと思います。


申し込み方法

参加を希望される方は、会場参加かオンライン参加を記載の上、下記までメールでお申し込みください。
happy.island311@gmail.com
 問い合わせ:090-5237-4312 (すずき)


参加費: 無料


サポート:八巻俊憲

所属学会等: 科学技術社会論学会,日本科学史学会,化学史学会、日本産業技術史学会、日本物理教育学会東北支部、原子力市民委員会(CCNE)福島原発事故部会,武谷三男史料研究会
詳細⇒プロフィール


参考:

●岩波新書 [ 安全性の考え方]  武谷 三男 編
https://www.iwanami.co.jp/book/b267106.html

●武谷 三男(たけたに みつお、1911年(明治44年)10月2日 – 2000年(平成12年)4月22日)は、日本の理論物理学者。理学博士。三段階論、技術論で知られる。
https://ja.wikipedia.org/…/%E6%AD%A6%E8%B0%B7%E4%B8%89…


9月15日開催「武谷三男から学ぶ原発事故後の福島#02」


9月15日開催「武谷三男から学ぶ原発事故後の福島#02」 レポート:坂本唯

〇「安全性の問題は疑わしきは罰すべし」p221

 公共の安全が確保されないかぎり、危険なことを実施してはならない。なぜなら、危険が証明されたときにはすでに手遅れであることを武谷三男は指摘した。

 水俣病の境遇では、病気が発症されていることが隠されてきた。しかし危険であることが証明される以前に、食い止めることができたのであれば被害の拡大は防ぐことができたのではないか。

 11章「原因不明のからくり」にもあるように、福島におけるALPS処理水の場合では、問題を矮小化し、安全性に疑問が残る点を不問にしている。トリチウムが安全かどうかについての議論を中心にすることで、それ以外の核種が残されていることを不問にしている。政府としては、トリチウム水の問題に矮小化することで、世界中の原発で流しているという話にもっていきたい。

〇「非科学的」であるというレッテルにどう抗うのか?

 「不確実性」をどう扱うかがリスク論のひとつの定義にある。しかし不確実という言葉が恣意的に使われている。本書では、本来リスクの大きい問題を扱う際に、ゼロリスクを求めなければならないという考え方が書かれている。

 たとえば原発事故後の給食問題について、追加被ばくをさせないように訴えてきたが、「ゼロベクレルを求めるのか?」といった論理に変換されることで「非科学的」であるとレッテルが貼られた。不確実な問題を極論にもっていくことで、科学的でないとする理屈に対して、「そんなこと言っていませんよ」と議論を引き戻さなければならない。

 また海洋放出に関して、規制基準というのは自分たちでつくった基準を安全だといっている数字でしかない。正解かどうかわからない基準をつくって、その基準値以下だから科学的に安全だというのは、科学的な言い方ではないといえる。

〇私たちの社会は後退してしまったのか?

「混乱している確率の概念」p.213について

 飛行機の死亡事故について、自動車の事故と比較して安全だという理屈がある。しかし、

飛行機よりも動かないベットの上で死ぬ人の確率のほうが多い。このような例は、科学論争として用意された土台に乗ってしまうことの危険性を示している。たとえばトリチウムが安全かどうか、という枠の中で議論するのではなく、「問題点はそこではない」といったように議論を引き戻さなければならない。そうしたときに武谷三男のような「例え」を用いるなど、テクニックを本書から学ぶことができると思う。

 原発事故後の甲状腺ガン発症のリスクについて、本書p.179の考え方を参照すれば「調査は疫学的方法と実証的方法を組み合わせなければならない」といえる。しかしながら原発事故後は、疫学調査がおこなわれず、またその調査の意味が科学者側の都合に当てはまるように理解されている。このような「疫学としての悪用」p.180の例が、1967年に出版された本書にすでに記されているにもかかわらず、まったく同じことが繰り返されている。

 現在の社会は、「功利主義的な社会」として、全体の利益を優先するならば一部の人々が犠牲になることは仕方がないとする仕組みになっている。本来ならば、格差があったとしても、誰にとっても不利益にならないように配慮しなければならない。

「真の原因を不問にしてしまう」理屈に抗うために、現在、科学的であるといわれていることがいかに非科学的なのかについて伝える必要がある。

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