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はっぴーあいらんど☆ネットワーク演劇プロジェクト
「U235の少年たち」東京公演まで間もなくです。

東日本大震災、東京電力福島第一原発事故を機に集まった仲間たちとの活動も6年が経過しました。
様々な活動を続けてきた私たちが選んだ一つの手段、芝居「U235の少年たち」
目の前の現実から逃げることなく向き合う姿に何かを感じ持ち帰って頂けましたら幸いです。

「U235の少年たち」東京公演

【場所】シアターKASSAI(東京都豊島区東池袋1-45-2)

【日時】
4月1日(土)14:00/19:00
4月2日(日)14:00

【チケット】一般前売 2,000円/当日 2,200円/高校生以下1,000円

【あらすじ】
1945/2017、福島。少年たちは大地に牙を立てる。

1945年、少年らは皆、教科書を開くことをやめ労働していた。
そのとき福島の地には、わずかな日の丸弁当を下げて、
藁草履で山にのぼり、ひたすら土や石を掘る中学3年生たちがいた。
日本で密かに進められていた極秘研究のための動員であった。
その若い腕がスコップで掘り続けた先に、彼らは何を求めたのか。
そしていま、私たちは何を見るかーー。

出演者は、福島県須賀川市を活動拠点とする10代〜50代のメンバーと、新潟県からひとり。
普段は「踊り」を表現手段としています。
2016年秋、東日本大震災から5年の節目の年に、はじめて演劇に挑みました。
脚本もオリジナル、お芝居も何もかも初挑戦のなか、踊る身体の先にあるものを探りました。
福島の地で、福島の話を。猪苗代の大ホールでの、1ステージのみの上演でした。
これきりで終わらせず、もっとたくさんの方に観ていただきたい…。
そんな思いで、このたび再演に踏み切りました。
福島の話を、東京で。小劇場で、より近い距離で。新たな挑戦です。
戦争を知らない世代の若者たちが、戦争のときを生きた同年代の子たちの姿に想像力の羽を伸ばし、ひるがえって向き合う現在(いま)とは。
福島は、福島第一原発事故から丸6年の春を迎えます。
この模索の時間に、劇場でお付き合いいただけたら幸いです。

チケットのご予約:https://stage.corich.jp/stage/80750
公式サイト:http://www.happyisland-network.com/

【お問い合わせ】
090-5237-4312(鈴木)/happy.island311@gmail.com

紹介映像

多くの方が舞台について書いてくださいました。
抜粋して紹介させて頂きます。


神出鬼没と言ったら失礼だろうか。しかしその活動は多岐、多用。鈴木真理さんに出会ったのは東日本大震災の年。海外支援を続けてきた日本のNGOネットワークが福島駅期前にオープンした共同スーペースで。彼女は海外の難民支援の現場を知るベテランの国際スタッフかと思わせる雰囲気があった。しかし、「ただのおばさん」と自称し、仲間からは福島弁の語尾を付した「まりっぺ」と愛称されていた。広範な放射能汚染の実態が明らかになりつつある中、対策といっても市民はどこから手をつけていいか暗中模索が始まったばかりの頃である。   しかし、震災前から舞踊集団を組織し、子どもや若者と一緒に福島南部・須賀川市の町起こしに参画してきた彼女は、グループ名「遊舞炎舞」のように熱く、しかししなやかに行動を起こしていった。自分たちで地域の放射能を測定し、保養プロジェクトを実施し、医師を巻き込んでの甲状腺検査や健康相談会は現在も続く。一方で「ぱっぴーあいらんど☆フェスティバル」などの大きなイベントも開催し、その中から生まれたのが、昨年作り上げた舞台「U235の少年たち」だ。  70年前の福島で、極秘研究のために中学3年生が藁草履で山にのぼり掘り出した「もの」と、70年後の現在の「少年たちが」が向き合わざると得ない、ある「もの」。当時を知る人物にまで取材し作り上げた演劇は福島・猪苗代湖の公演で高い評価と注目を浴び、「えいや」と東京公演を決意した鈴木真理さん。是非、応援したい。
フォトジャーナリスト豊田直巳


全くの素人の若者達が観せる舞台が何故、かくも心を
揺さぶるのだろうか。
普通の若者達が何故、かくも輝くのだろうか。
観たひとりとしてシェアをさせていただきます。
福島市:小林冨久壽


体調不良で福島公演を観ることができなかったあたしに、DVDのお見舞いが届いた。「みんな素人なんだからね。そこのところ差っ引いて見て!」って言われたけれど、どうしてどうして素晴らしい舞台だった。常に全力投球の「はっぴーあいらんど」が、生半可なものを人様に見せるはずがないのだ。
あまり知られていないことかもしれないけれど、戦時中、福島県石川町では、新型爆弾開発のためにウラン鉱石が掘られていた。採掘には地元の学生たちが動員された。その当時の出来事は、おそらく現代の福島にもリンクしている。「お国のために」が「復興のために」に変わっただけで繰り返されている。生きること、笑うこと、食べること、歌うこと、そんな当たり前の自由が「~~のために」にすり替わっていくのは、あっという間のことなのかもしれない。自分のオールは自分で持って漕ぎたいわ♪
ってわけで、この舞台が今度は東京に進出するって聞いて、ものすごくワクワクしている。関東圏のみなさん。会場は小劇場だそうですから、チケットは早いもの勝ち。なくなる前にゲットしてください!
郡山市:人見やよい


戦争中に日本国内で極秘に進められた「原爆開発」の歴史がある。陸軍は、戦争末期1945年4月から福島県石川町の採石場で石川中学(現在の学法石川高)3年生約180人にウラン鉱石を8月15日まで掘り続けさせた。この歴史的事実を実際に動員された人から直接話を聞き、原発事故を体験した福島県の若者たちが演じる『U235の少年たち』が4月1日、2日に東京で公演される。
◆福島・石川町にウラン鉱石 戦時中、原爆開発で採掘
(2013年10月4日 東京新聞)から抜粋
福島県南部、阿武隈高地にある石川町。多くの珍しい鉱物を産出する場所として有名だ。戦時中、原爆開発のためにウラン鉱石を採掘した場所でもある。地元の石川中学(現在の学法石川高)の3年生約180人がわらじ履きで働いたという。 石川町では1945年4月、陸軍が民間工場をニ号研究用に徴収し、東京から機械を運び込んだ。中学生の動員も4月から。石川町産では足りないと、マレー産の鉱石も輸送した。しかし、6月下旬には研究中止が決まった。 研究中止が決まっても、中学生は8月15日まで鉱石掘りを続けさせられた。理由は不明。国家機密の闇の中だ。

全文 http://www.tokyo-np.co.jp/…/fu…/list/CK2013100402000185.html

◆フクシマ、秘められた原爆開発 戦争末期にウラン選鉱場
(2011年6月8日 朝日新聞)から抜粋
東京電力福島第一原発の事故は、核の世界史にフクシマの名を刻み付けた。その原発の約60キロ南西に、第2次世界大戦中に原子爆弾の開発拠点にされた町、福島県石川町がある。 戦後に防衛庁防衛研修所戦史室がまとめた『戦史叢書(そうしょ)』の中には、戦争中に日本国内で極秘に進められた原爆開発の歴史がつづられている。 製造に必要なウランを入手するため陸軍が目をつけたのが、鉱物産地である石川町だった。 日本の原爆開発は結局、途上に終わる。敵国・米国は開発に成功、広島と長崎に投下した。 敗戦から戦後へ。石川町では石英などの鉱物生産が続いたが、輸入品に押され、70年代に鉱山は役目を終えた。一方、53年にはアイゼンハワー米大統領が核の「平和利用」を提唱。日本政府も同調し、71年、福島第一原発の営業運転が始まる。 石川町は福島県内では大気中の放射線量が低い地域で、町内で原発事故の爪痕を見ることはまれだった。だがある宿泊施設を訪れると、234人もの避難者が暮らしていた。放射能に生活を奪われた原発30キロ圏内の町、広野町の住民たちだった。 居酒屋を営んでいた鈴木すみさん(46)は中学生の子供とともに避難していた。収入を絶たれ、店を再開したいが「原発が怖くて出来ない」という。「考えちゃうんです。娘が子供を産むとき大丈夫なのかって」。次の次の世代の生のありように、事故は影響を及ぼしてた。                      原爆開発という過去は、かすみの向こう側にあった。だが避難者の恐怖は、明確に未来へつながっていた。                        <石川町と原爆開発> 戦時中に日本陸軍が進めた原爆開発は、東京の理化学研究所を中心に進められ、「ニ号研究」と呼ばれた。石川町に期待されたのは、原料となるウランの生産。地元の学生たちによる鉱石採掘作業は1945年8月15日まで続いたという。
◆「戦中」と「戦後」、大きな断絶
民主主義では、情報が有権者に共有されていることが必要。だが、原子力は軍事技術と地続きなので機密とのつながりが強く、民主的に運営しにくい。
だが原子力にせよ自然エネルギーにせよ、選ぶかどうかの判断は、リスクとメリットの情報が両方しっかり共有されたうえで行われるべきだ。原子力を安全と信じた歴史を繰り返してはならない
福岡県北九州市:中村隆市


【原爆開発のウラン鉱石が福島で採掘されていた!】
はっぴーあいらんど☆ネットワーク演劇プロジェクトによる
「U235の少年たち」東京公演が4月1、2日に開催されます。
タイトルからウラン235がテーマだろうと想像していました。
しかし、日本でのウラン鉱石採掘というと、鳥取県と岡山県の境にある人形峠が有名で、福島県石川町でも採掘されていたことは知りませんでした。不覚でした!しかも、その採掘の目的が、戦時中に密かに行われていた原爆開発のためだったとは!しかも、しかも、その採掘のために、地元の中学3年生約180人が動員されていたとは!!「U235の少年たち」は、戦争を知らない現代の福島の子どもたちが、戦争に動員された当時の子どもたちに思いをはせ、現代の福島に向き合い、未来を考える・・・といったことがテーマになっています。
これはぜひ観なければ。地元の友人たち8人と一緒に、4月1日(土)14時の部を観劇します。ご都合つく方、ぜひいらしてくださいませ。
千葉県:小野瑛子

 

 

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