「能登半島地震復興について考える」スタディーツアー報告
カテゴリー: その他 / ぷちゃ会 / トップページ表示カテゴリー
「能登半島地震復興について考える」スタディーツアーを、6月6日~8日に行いました。今回のツアーのメインは、約1年半が経過した能登半島地震被災地の現状を視察すること、そして珠洲市の原発誘致に対する反対運動を続けてこられた方からお話を伺うことでした。
6月6日
スタディーツアーの初日は、能登演劇堂にて、演劇作品「胆っ玉おっ母と子供たち」を鑑賞しました。仲代達也率いる無名塾によるこの作品は、「戦争と命」という、今の世の中だからこそ重要なテーマを投げかけます。17世紀のヨーロッパ各国を巻き込んだ30年戦争渦のポーランドを舞台に、仲代達也演じる「胆っ玉おっ母」は、戦地を巡りながら商売をします。おっ母の商売は戦争があるから成り立つ一方、おっ母の子どもたちは戦争によって次々とその命が失われていきます。これは劇中のフィクションに収まる話ではなく、今まさに現実で起きている戦争を考えざるをえません。世界各地で争いが起こり、一人ひとりの命が危機に晒されている状況のなか「どんなことをしても命を大切にする」ことが、果たして日本に生きる私たちはできるのでしょうか。


6月7日
午前中に七尾市を出発し、珠洲高谷地区へと向かい、反原発運動を続けてきた塚本真如さんのお話を伺いました。原子力が夢のエネルギーといわれていた1975年、珠洲市議会は原子力施設設置にかんする要望著を国に提出しました。中部電力、北陸電力、関西電力の三社よる開発計画が進められ、塚本さんのいる高屋地区は関西電力による原発予定地として狙われます。そこから2003年12月の原発計画凍結にいたるまで、住民の人々による長い抵抗が続けられてきました。
塚本さんのお話で印象深かったことの一つとして、地域住民らが分断しない反対運動を実践されてきたそうです。原発推進か反対かをめぐって地域が二分化されることは、これまでにも各地で起きてきました。しかしながら塚本さんは「個人的な攻撃はしない」姿勢を貫くことで、深刻な分断を回避してきたそうです。このような反対運動の方法は、福井の原発立地地域の人々から学ぶことが多かったともおっしゃっていました。原発推進を目論む電力会社の力がはびこるなかで、原発に反対する力も草の根で広がっていたことを知ることができました。


6月8日
珠洲から輪島へと向かう道中の山間、そして日本海側の海沿いの道は、いまだ復旧作業が進んでいない光景が広がっていました。むき出しになった山肌の斜面は、夏の台風によってさらなる被害につながらないのでしょうか。土砂によって埋もれてしまった民家や、大きな岩によってふさがれた道路は、いつになったら復旧されるのでしょうか。復旧対応への遅さに憤りを感じながら、輪島へと向かいます。
かつて朝市で賑わっていた通りは、能登半島地震によって発生した火災による被災地でもありました。震災以前には多くの建物が立ち並んでいたであろう通りは、視界の先を真っ直ぐ見渡せるほど、何もない状態となっていました。現在では、近隣のスーパーの一角に、出張輪島朝市として様々な地元の野菜や乾物、手工芸品が販売されており、私たちもそこでお買い物をしました。


今回のスタディツアーでは、移動をふくめて珠洲市、輪島市、七尾市の被災状況を視察することができました。縦長の能登半島は、北上するほどに被災状況はいまだ改善されず、復旧の遅さに憤りを感じずにはいられません。そして、原発立地予定地に足を運び、反対運動を続けてこられた方のお話を聞くなかで、各地における今後の原発立地反対運動がどのように展開されるのかが気になりました。珠洲のように原発立地を阻止した例は、三重県や山口県の祝島などいくつかありますが、今後も原発計画が浮上する地域がないとは言い切れません。原発立地を阻止してきた人々と、事故が起きてしまった影響を受けてきた人々と、そのどちらもの経験が活かされる日がくるのか、まだまだ学ぶべきことが多く残されています。
レポート:坂本唯





